チャーリー・クリスチャン

 




ビバップJAZZ創世記のギタリストであるチャーリー・クリスチャン。
ビバップというのは1940年代のニューヨークで生まれたジャズの潮流。

当時は、まだスイング音楽、スイングジャズといい、ダンスホールや酒場で観客が踊るための音楽が主流だった時代。

ジャズメンたちは仕事が終わるとジャズクラブに集まり、夜の明けるまでジャム・セッションを楽しむ。昼間はサラリーマン、夜はアルバイトに精を出すビジネスマンみたいなものか。そこでは、楽団での楽譜通りに演奏することの多かったダンス音楽と違い、テーマを決めたら、後は自由にアドリブで表現していく。その音楽こそアドリブに重きをおいたビバップJAZZ。

ベニー・グッドマン楽団在籍中に頭角を現し、彼を一躍有名にしたNYハーレムのミントン・ハウスでのライブ以外にチャーリー・クリスチャン。
彼の音楽の記録はそう多くは残っていない。
実質的な音楽活動は2年にも満たず、結核を患い、酒と女に溺れた末の25歳という若き末の死だった。

チャーリー・クリスチャンより後で登場するトランペットのクリフォード・ブラウンもやはり実質2年程度の音楽活動の後、交通事故で若くして世を去るのだが、ブラウンには麻薬や酒の気配がまったく皆無なプレイヤー。
クリスチャンの麻薬と女のカゲ。肉体と精神が、忍耐における極限状態の中でかろうじてバランスを取れる状態でのプレイ。その中でのインプロビゼーションは、スリリングかつ感動さえ覚える。ボクは、ブラウンの紳士的プレイを好む反面、クリスチャンやパーカーなどの破滅的プレイヤーの創造する音楽にこそプレイヤーの根底も表現を可能とする力が現れてくるのだと思っている。

そこにカゲとJAZZのギリギリの情感が表現される。

そんな破滅型プレイヤーが演奏するこのCDは、1940年代の前半の音楽とは思えないほど、今聞いても知的さを満喫させるだけの技術が存在し、スイング感溢れる音楽の集合体。

クリスチャンのソロパートを聞く中、後のプレイヤーのフレーズに似た音もあり、クリスチャンの手法がウエス・モンゴメリーをはじめ多くのギタリストたちに影響を与えたことが裏づけられる。若くして世を去っても才能ある人間の足跡は60年以上経った今も新鮮に印象を与えるものだ。


SWING TO BOP

※写真は20年以上前のスイングジャーナル誌での、デュポンのコマーシャル。
 デスクにあるのはチャーリー・クリスチャンのミントンズプレイハウスのチャーリー・クリスチャン。



チャーリー・パーカー

 





パーカーのオンダイアルというアルバム。
このジャケットデザインは日本バージョンだけ。

世にいう、有名なラバーマン・セッションが収められているのが5枚のうちのこのアルバム。

1946年7月9日。
日本では太平洋戦争の終わった翌年、昭和21年の夏のこと。
パーカー、25歳。

すでに麻薬と酒に耽溺し、この日もスタジオに入ったときから、精神も肉体も最悪状態。
自分のパート以外では意識を失っていたらいしい。
そして、ラバーマンでは発狂寸前。録音終了後には病院に担ぎ込まれたらしい。
そのセッションが果たして、聴衆者や評論家にはどう聞こえたのか。

最近は、You Tube で動画や音楽が聴くことができるので嬉しい。
そのラバーマンは↓

ラバーマン・セッション


こんなセッションも見られるのは感激。
リズムセクションは、ピアノに、ハンク・ジョーンズ。
あぼサド、エルヴィン、ジョーンズ三兄弟の長兄。
ドラムは、バディ・リッチ。
ベースに、レイ・ブラウンという豪華なメンバー。

CHARLIE PARKER



早く生き過ぎたのか。
単なる破たん者なのか。
天才にみられる自己抑止力不能者なのか。

しかし、音楽は、今聴いても、引き込まれる。

 


キャノンボール・アダレイ




 

ボクはジャズを60年代の後半から聞きはじめましたので、50年代のビーバップからバップに移行するストリームにおけるプロセスはリアルタイムではなく、後付で理解したにすぎません。聞き始めた頃は、チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンばかりで、彼らのリズム・セクション(ピアノ、ベース、ドラム)やホーン・セクションなどサイドメンのクレジットは当然、インパクトがあれば覚えているわけで、そうでなければ、やはり彼ら主役が中心で、サイドメンの名前は調べようともせず、いつの間にか記憶の彼方に飛んでしまいます。

 

キャノンボール・アダレイもマイルスのアルバム「1958MILES」で知りました。アダレイのリーダーアルバムを購入したのはそれから間もなくのこと。「MERCY,MERCY,MERCY」でアダレイの存在感を知ったのです。イントロでMC(アダレイ?)が喋りを被せていく手法に、ジャズをヒップホップとして感じさせてくれるノリありました。「MERCY,MERCY,MERCY…」とタイトルチューンを言い切ると、静かに鍵盤を叩いていたジョー・ザビヌルがあえてそのままの加減で弾き続け、そして遠慮深くアダレイ兄弟のアルトとコルネットがかぶります。クラブに来たお客さんのノリの良さもあってか、ライブの雰囲気が伝わってきます。日本公演でも「MERCY,MERCY,MERCY」を演奏し、サンケイホールでのライブアルバムとして発売されています。ただシカゴの雰囲気と違い、当時の日本の観客はおとなしいです。このアルバムは「WORKSONG」から始まり、続いて「MERCY,MERCY,MERCY」、そして「THIS HERE」でA面が終わります。アダレイの弟でコルネット奏者のナット・アダレイが作曲した「WORKSONG」はポピュラーな楽曲となり、一部のジャズファンにはあまりにもコマーシャルだという理由から敬遠されていましたが、いいじゃないの()、少しでもジャズが広まればと思いますが。ジャズのは1曲が長く、2、3曲聴いたらレコードをひっくり返さなければならず、このA面からB面へという感覚はCDにはなく、面倒!という人もいらっしゃいますが、この数十秒はB面の1曲目を聴く心の準備にもなったりして、インターバルの「マ」でして、アナログ的なこの空白感はアナログ時代の産物といえましょう。

 

マイルスのアルバムは、1958年からキャノンボール・アダレイがクレジットされているものが登場します。50年代最期の録音で、最高傑作と言われた1959年録音の「KIND OB BLUE」が、そして、58年に録音され散在していた楽曲を日本だけで1枚のレコードにした「1958MILES」がその代表でしょう。この中の「LOVE FOR SALE」では、マイルスのソロパートが終わるとキャノンボールのソロが始まります。まだ無知の時代に初めて聴いた時、この音がアルトなのかテナーなのか、はっきり分からず、キャノンボールの後にコルトレーンがテナーを吹くのですが、コルトレーンの音の強さと変わらないのでは、と思えるほどアダレイのアルトが豪快に感じたものです。アルトサキソフォンはポール・デスモンドのソフトでメローなもの、チャーリー・パーカーの早くて吹きまくる割には、豪快さとは無縁のテクニシャンを想像させるもの、アート・ペッパーのテクニックを見せびらかさずに洒落た感じで吹きまくるものがボクの中では主流でした。ですからこの豪快さはどこから影響を受けているのかとてもそそられましたが、実際の彼の体躯をみて、はは〜ん、と思わず膝を叩いたものです。

 

この1958MILESでの「LOVE FOR SALE」は1958年5月26日に録音されたもので、一方、ブルーノートから発表されたアダレイのリーダーアルバム「SOMETHIN’ELSE」があります。
実質はマイルス・デイヴィスがリーダーのようなもので、このアルバムの中にも「LOVE FOR SALE」があり、1958年4月9日の録音となっています。4月、5月と2ヶ月の短い間に、キャノンボールとマイルスはブルーノートとコロンビアに「LOVE FOR SALE」を残すことになります。聞き比べてみますと、マイルスがリーダーのほうがいい、という人も言う人もいれば、その逆もあり、まるで、肉を野菜と魚を与えられて、まったく違う手法で料理を作り上げたようなもので、その捉え方は千差万別でしょう。これは、マイルス・デイヴィスがコロンビアに移籍するにあたり、契約の残るプレスティッジで一気にレコーディングした中にモンクの名曲「ROUND ABOUT MIDNIGHT」があり、その曲を移籍先のコロンビアでも吹き込み、同じ時期の録音にもかかわらず、移籍先のコロンビアでのアルバムが売れてしまった経緯も思い出します。

 

ジャズは独特のリズム感にインプロビゼーションなるアドリブのスリリングなメンバー間の対決が面白さの特徴でしょう。同じプレイヤーが曲を演奏しても二度と同じ演奏はできません。そして録音された日がクレジットされていることが多く、前後の人間関係や音楽環境が明瞭になることで、さらに興味本位が広がるわけです。

キャノンボールはスタジオ録音での素晴らしいアルバムもありますが、ライブ録音されたアルバムにも、ライブ独特の緊張感とインプロビゼーションの妙味、他のメンバーとの時にはハーモニーが伝わり時には独りよがりの面もみえ、ビル・エバンスが「KIND OF BLUE」の解説で書いていた、「日本の墨絵は一度筆を下ろしたら、それで終わりなのだ、書き直しはきかない」という印象的なコメントと繋がっていくほどジャズは、ハーモニーと独創性が必要な音楽だということです。

 

アダレイの名盤を探そうとするとたくさんありすぎて見つかりそうもありませんが、スタジオ盤やライブ盤それぞれに良さがあり難しいところです。60年代はいいものがあります。50年代で選ぶとするなら、「CANNONBALL ADDERLEY QUINTET IN CHICAGO」がボクは好きです。アダレイのほかに、コルトレーンのテナー、ウイントン・ケリーのピアノ、チェンバースのベース、ジミー・コブのドラムという、サイドメンがマイルスのメンバーでして、コルトレーンとの掛け合いはスリリングです。1959年2月3日の録音です。

 

 

Love For Sale

mercy mercy mercy




 


チック・コリア

 

 

 

ここは多摩川の河口、羽田です。今日も25キロを自転車で来ました。昔、河口はもっと上流にありました。その後、京浜工業地帯や羽田空港が河口の東西に計画され、その地はやがて埋め立てられ、現在の付近になったのです。引き潮になると浅瀬が現れ、蜆やアサリ漁をする人が多くなります。鳥たちもやがてどこからともなくやってきて、貝や魚を低空で探し出します。カモメも姿を現します。猫餌を持参していて、空中に放り投げたら寄って来ました。港町では群れをなしているカモメも、東京では人間と同様に孤独なのか、やや遠慮がちに、そして自由に空を謳歌しています。

 

カモメの写真を見ていると、羽田といえば飛行機!、竹芝といえば船!というように、ボクは殆ど反射的にチック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」のジャケットを思い起こします。チック・コリアというキーボードプレイヤーを知ったのは1968年のこと。ラテン系の人で、ラテン音楽で育ったミュージッシャンのようですが、その頃のチックをボクは知りません。マイルス・デイヴィスをずっと聞いていたので、マイルス1968年録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』、70年録音の名盤『ビッチェズ・ブリュー』にチックがクレジットされていることで、初めてキーボードプレイヤーであることを知りました。ピアニストで表記されることもありますが、この時点ではアコースティックピアノの演奏を聴いてはおらず、最初から電気ピアノのプレイを聞いていたせいもあります。68年から70年にかけてのマイルスの作品は、電気化されたサウンドが中心で、バップやビーバップ、モード奏法は過去のもので、常に新しい音楽を作りかけていた時代ですから、どちらかというと、ガンガンと突っ走るいわばロックに近いサウンドでしたので、チックのキーボードが美しいとかリズムに特徴があるとかではなく、この時代のスイング感が適度に電気化されたピアノから響き渡り、ロックのノリとは異なるリズムの心地良さが印象的でした。

 

その後、マイルスのバンドを卒業し、スタンリー・クラーク(ベース)、ジョー・ファレル(テナーサックス)、アイアート・モレイラ(ドラム)、フローラ・プリム(ヴォーカル)らで、リターン・トゥ・フォーエバーを結成します。

RETURN TO FOREVER

 

 電気ピアノはアコースティックのピアノのサウンドとはまったく違います。ただ辛いだけの焼酎からコクと旨味を加えたような、キーの音の響きに鋭さを削り取った優しさが伝わってくるのです。このサウンドは日本で大当たり。70年代の初期は何度も来日してコンサートをチックは演ってました。こうなってくると、チックのサウンドは電気ピアノとイコールになります。しかし、売れてくると、昔の音楽が聞きたくなるのがボクの性格。探してみるとありました。アコースティックのピアノを弾く、チック・コリア。「Now He Sings, Now He Sobs」。名手ミロスラフ・ヴィトウスのベースにロイ・ヘインズのパワフルなドラムのトリオでの演奏。驚きましたね〜、ピアノのテクは。しかし、すでに電気ピアノのチックのサウンドを知ってるがために、素直にアコースティックの音には入り込めないのです。その後、ハービー・ハンコックとのデュオやソロも聞きましたけど、やはり彼の音は電化されたサウンドが素晴らしいように思います。何年たっても、カモメを見たらチックを思い起こす反射はなくなりそうもありません。




 


油井正一

 



1960年代の終わり頃、クリーム(GREAM)の音楽に狂うほど聞き込んでいた時期があります。ロックも変革期を迎えていた時代、プログレッシブなどと表現され、ロックンロールと一線を画すグループが数多く生まれました。特に1曲の演奏時間が長くなりましたね。3、4分ほどだった曲が、15分や20分という長い曲を持つLPも出始めました。その中のグループにクリームがいました。ジャック・ブルースのベース、ジンジャー・ベイカーのドラム、そしてエリック・クラプトンのギターという3人編成。フィルモアでのライブ録音はレコード盤が擦り切れて、再び購入するまで聴きこみました。なんといっても彼らの特徴は、主題が終わると同時に、インプロビゼーション、つまりアドリブ展開の妙の素晴らしさです。クラプトンだけが表に出ているように錯覚しますが、実際はそうではなく、三者三様の表現が他の二人の表現に触発して展開されて行く様がスリリングで、ロック音楽の中では初めて聴くスタイルに興奮し、アドリブのフレーズさえコード進行を覚えるまで聞いたものです。プログレッシブの代表のようなピンク・フロイドが計算し尽くされた楽曲に対して、クリームの3人はスタジオ録音よりライブを重視し、主題はいつも同じであっても、その先はどうなるのか分からない展開にワクワクしたものです。そんなクリームの音楽に対して、ジャズ評論家の油井正一さんが、すでに廃刊となったミュージック・ライフ誌でクリームの音楽性を絶賛したことがありました。1968年頃のことで、そのアルバムは「WHEALS of FIRE」、邦題は「クリームの素晴らしき世界」でした。このアドリブはいわゆるインプロビゼーションであり、ジャズの世界のもので、ジャズのプロが聞いても素晴らしいというのです。その記憶が残り、油井さんが1973年頃からFM東京で、「アスペクト・イン・ジャズ」という番組を担当され、欠かさずエアチェックし出しましたこの番組がボクにとってJAZZを聞き出すきっかけとなったものなのです。

 

ジャズ音楽の面白さって、人それぞれで、楽しみ方はたくさんあります。ボクにとっては、あのリズム感やアドリブの妙味がまずは気に入りました。特にドラムスのトップシンバルの小刻みに紡ぎだしていくあのリズムは、ロックのそれとは全く異なり、手足の4つがまるで別の生き物のように感じられ、ドラムはロックよりジャズを演りたい願望が大きくなっていきました。それはともかくとして、リズムセクションといわれるピアノ、ベース、ドラムのリズムに、トランペットやサキソフォンが加わり、サウンドの広がりたまりません。また、当時のジャズのレコードでは必ずといっていいほど、録音日が記載されています。これは、過ぎ去った時代になっても気に入ったジャズメンの成長や変化を感じることが出来ます。バードの項でも書いたラバーマン・セッションなどその頃はバードが麻薬に耽溺し、意識が朦朧とした中で録音したかと思うと、その場にいたかような錯覚と臨場感を感じるのです。それから1年経過した時のサウンドなんかを比較するとたまらないものがあります。

 

また、録音日の記載だけではなくて、多くのジャズメンは1曲の演奏を、take1というようにtake2というように、何度か演奏して、その中から良い出来のものを選びました。後になり、take3take4などが発表されると、どこがどのように違って、なぜこのテイクが世に出たのかなど、考古学のように推測することも楽しいものであります。

マイルス・デイヴィスの「THE MODERN JAZZ GIANTS」の中に「THE MAN I LOVE」のtake1take2があります。ジャズの案内書にはよく解説が書かれていますので、知っているかたもおいのですが、失敗作としてのtake2のほうが有名となりました。ピアノのセロニアス・モンクの演奏に入らなければならないのに、モンクが出を間違えたのか、意識を外してしまったのか、ピアノとドラムだけが、リズムを刻んでいくシーンがあります。リーダーのマイルスがそれに我慢ならなかったのか、気づかせようとしたのか、トランペットを少しだけ吹きます。一瞬躊躇したようにモンクはマイルスの音を聞いて、にわかにピアノを弾き始めるのですが、こういった個々のギリギリの状態でのぶつかり合いがたまらなく面白く、その音源が残されて、このように失敗作でも話題作となり、失敗のないtake1より有名になってしまいました。その後、マイルス・デイヴィスは二度とセロニアス・モンクとは共演しなくなりました。1954年12月24日のことです。


こんなエピソードがたくさんあるジャズの魅力を教えて頂いたのが油井さんというわけです。ジャズなんていうものはメジャーとは決していえません。テレビで放映されるわけもなく、インターネットもない時代、ラジオと雑誌だけが情報源
でした。でも、何年、いやかえって何十年経過しても新鮮に聞こえるのはジャズをおいて他にはないように思えます。油井さんの著書に「ジャズの歴史物語」があり、それを読んで勉強しましたが、この本は良くまとめられていて、しばらく廃刊になっていましたが、復刊しています。しかし、まずは、理屈より、ジャズそのものを五感で感じることです。そこから自分の興味が分かり始めるもので、その興味の本質が分かり始めてから、理論や歴史を知ると、さらに興味が涌いてきます。それがジャズの魅力なのでしょう。



 


ジャンゴ・ラインハルト






 

 ボクがジャンゴ・ラインハルトを初めて聞いたのは70年代になってからのことです。アルバイトをしていた新宿の喫茶店のカウンターの中でオーナーの趣味としてジャンゴのレコードが回っていたのです。すでにジャンゴは他界して20年ほど経っていました。後年、盛んにジャンゴを聴くようになると、生の彼を見られずに残念!とかいう問題ではなく、かえって神格化された状況を素直に信じ、神格化された価値の十二分さを満足している有様でした。当時、ジャズ喫茶では、マイルスをはじめジャズは電気化されたサウンドが主流で、クロスオーバーというジャンルまで生まれた時代で、1930年代から50年代を生きたジャンゴの音源は、あまりにも洗練されておらず、ずいぶん古臭い音楽だな〜というのが第一印象でした。オーナーに勧められてレコードを買い求めたにもかかわらず、そのままレコード棚に仕舞われたままだったのを念入りに聴くようになったのは、代々木のジャズ喫茶でジャンゴの盤が回り、あらためて電気化されたジャズにはない、郷愁とは異なる懐かしさというか、人間くさい温かみのあるサウンドだったからです。もうそれ以来、他のミュージッシャンを聴いていても、不意にジャンゴを聴きたくなる瞬間が生まれるようになりました。

 

ジプシーの人々に郷愁を感じてしまうのは個人差の問題。彼がどういう境遇の中で育ち、若い頃どんな思いで音楽に接したのか、ただただ想像するしかないのですが、彼の残された音、メロディや歌詞、数少ない映像からは、紳士でありヤクザっぽさというか不良っぽさを持ち合わせる風情、ジプシーということを他人に同情させるのではなく、ジプシーに憧れを持たせてしまうほど人間性の広い骨太のミュージッシャンではなかったのか。

 

次の、.youtubeの映像で、ネックを動き回る左手の薬指、小指は機能していないことが分かります。ボクは義弟が知的障害者であるせいか、またご一緒に仕事をさせて頂いている文楽人形遣いの吉田簑助師が脳出血を克服して奇跡的なカムバックをしたことなど、障害を持った方々が血のにじむような努力を見てきて、18歳でキャラバンの火事を消火しようとして火傷して、大切な指の機能を失ったジャンゴの過去を知ったことで、彼の音楽はもちろん、一生付いてまわる彼のハンディキャップが、かわいそうだ!という表面的な情ではなく、彼の音楽の本質に触れるような瞬間を持てることが、音楽を聴く、その音楽を好きになれるかどうかであると思っています。バードもそうですが、やはり、ミュージッシャンの実像を知ることで音楽の本質に近づけるような気がします。


 

Django Reinhardt - J'attendrai Swing 1939
 

DJANGO REINHARDT





いつぞやある勉強会のメンバーの方のご子息の指が生まれつき三本しかないというお話を聴き、そのときジャンゴ・ラインハルトをふと思い出しジャンゴの話をしたことがありました。3本の指でもあれだけのギターサウンドを作り上げられるんだ、ということが少しでもわかっていただけると嬉しい気もします。後日、そのご子息にギターを買い与えたという話を聞いて、なんだか涙が出てきました。

 

ヨーロッパを主に音楽や芸をして放浪した移動型民族であること、そのジプシー音楽とスイングジャズを掛け合わせたマヌーシュ・スイングという音楽の創始者であること、左手の二本の指が不自由であるにもかかわらず、自分なりの奏法で流れるようなフレーズワークを生み出し、名曲をたくさん出したということ。亡くなって50年経って、ウディ・アレンが劇中でジャンゴを登場させた「ギター弾きの恋」の中で、主人公約のショーン・ペーンが、オレは世界で二番目のギタリストだ。一番はジャンゴだと言わせる台詞の粋なこと。ジャズ雑誌であるジャズ評論家はジャンゴの音を聞いていると涙が出てくる、という記事を読んだ時、何のことか分からなかったのに、ジャンゴの音楽や彼の情報を得ることでその気持ちが分かったこと。

 

「アレがないから何も出来ない!」とか、「何もないところからはスタートが切れない!」とかいう人たちにジャンゴの音楽聞かせたい衝動に時々かられますが反面、見せてもしょうがないという気持ちのほうが大きくなります。

 





ジム・ホール

 




「いま特別に聴きたい音楽はないけど音楽を耳にしたい…」って感じるとき、まずこれを引っ張り出して聴くことが多々あります。学生時代に輸入レコード屋でアルバイトをしていたとき、ジャケットを見て「臼杵の石仏みたいだな…」と思いつつ、店長に聞いてみろよと言われ、針を落とすと、電化され作られたサウンドを意識してしまうアルバム全盛時にあって、久しぶりにコンボ・ジャズ(少人数編成のバンド)の妙に鳥肌が立ち、その日に店の中で4、5回かけて、今でもそれぞれメンバーのアドリブ・パートまで口ずさむまでになったほど、今でもメモリアル的なレコードです。


一度はどこかで耳にしたロドリーゴのアランフェス。原曲は、「ギターとオーケストラのための協奏曲」といいれっきとしたクラシック音楽。ジャズの世界では60年代にマイルス・デイヴィスがスケッチ・オブ・スペインというアルバムで、名アレンジャーのギル・エバンスを迎えて、マイルスのトランペットとオーケストラの対比に重点を置いた、アランフェス協奏曲を発表していました。マイルスには重々しさと、ある面での余所余所しさが曲全体に広がり、何気なくふらっと聴けるような音楽ではなく、意識的に音楽と対峙しないといけないような雰囲気さえありましたが、ジム・ホールのそれは、一定の進行の中でテーマがあり、ソロ、テーマ、ソロとシンプルに続く、忘れられてしまったジャズの楽しさが十分に伝わる聴きやすいものです。

 

メンバー・クレジットは、ドン・セベスキーのアレンジメントに、ジム・ホールのギター、ポール・デスモンドのアルト・サキソフォン、チェット・ベイカーのトランペット、ロン・カーターのベース、スティーブ・ガッドのドラムス、ローランド・ハナのピアノ、です。クレジットされている中では、ローランド・ハナだけは過去に情報がなく初めて聞く名前で、ましてや輸入盤でしたから詳細な解説などなく、これだけのメンバーなのだから物凄い音楽なのだろうという期待感が先走り、果たしてその気持ちを裏切らないものでした。ジム・ホールはビル・エバンスとのインタープレイなど、才能あふれるプレイを聞かせるギタリストです。サイドメンに徹していた時代が長いので、実力があるのにリーダーアルバムが少ないのも彼の性格を知る要素なのです。ポール・デスモンドは、日本でも大ヒットしたデイブ・ブルーベックが発表した「テイク・ファイブ」のアルト奏者です。以前からメローな音色が特徴でしたが、ここではメローさに加え、絵画で言えば油絵ではなく墨絵に近い感覚と言いますか、くすんだような渋い音色を響かせています。トランペットは麻薬に耽溺して身を滅ぼしそうになったチェット・ベイカー。淡々と吹いているソロパートは、印象と違い重く柔らかい竹でガラスを切り刻んでいくような鋭ささえあります。アルトもペットも、全体的に感情を抑え演奏され、いっそうのクールさが引き立ちます。ガッドのリズムの切り刻み方もシンプルですが、計算された迫力があります。マーチングバンドの太鼓のようにスネアを何度も滑らせ程よいアクセントに聞こえます。多くのジャズコンボで、またロックバンドの経験もあり、そのリズム感、テクニックは、この当時この音の調律の仕方はガッドだ!と思えるほど特異な音でした。

 

どの条件を考えてもこのLPが売れる要素はいっぱいありました。事実、CTIレーベルでは最高の売上を作りましたから。イージー・リスニングのカテゴリーではなく軽いながらも独特の重厚さのあるジャズ音楽とはこういうものを指すんでしょうね。プレイヤーの経験値と生きてきた人間力がものをいう優れたセッションです。



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