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勧進帳

 
 
 

文楽公演11月は大阪で通しの仮名手本忠臣蔵。

この演目、人形遣いさんは朝から出続ける技芸員さんが多い。近年は床も二番以上出る技芸員も珍しくない。遣るほうはきつい。しかし、見るほうもきついのだ。通しは序段から大詰めまで一気に観劇してはじめて通しで見た、と言えるから。

 

通し観劇は、まるでヨーロッパ便やアメリカ便に乗っているような気分。

 

さてさて、10月の文楽は地方公演中で本公演がない。

というわけで新橋演舞場へ。昼夜とも上演する勧進帳がお目当て。

 

勧進帳といえば武蔵坊弁慶。

浄瑠璃では「御所桜堀川夜討〜弁慶上使の段」で弁慶が登場する。この弁慶上司の初演は1737年竹本座。歌舞伎の勧進帳は、現在の型が完成したのは1840年代、天明期。もともとは能取り物であるため、勧進帳の原型らしき芝居は早くからあった。

 

文楽でも勧進帳(鳴響安宅新関)がたまにかかる。人形は左遣いも足遣いもすべて出遣い、つまり黒衣ではなく紋付袴で顔を見せる。花のある演目の一つでもある。「かやうに候ふ者は、加賀の国富樫の某にて候ふ」で始まる。歌舞伎は「旅の衣は篠懸の旅の衣は篠懸の・・・」。20回は聞いただろうか。

 

さて、10月の弁慶役、昼の部は市川團十郎、夜の部は松本幸四郎。冨樫も幸四郎丈、團十郎丈が入れ替わりで演じる。お二人ともあの弁慶役者と言われ、生涯に1500回以上弁慶を演じた七代目幸四郎の孫にあたる。家系はともかく、演出、表現技術に代々脈々と流れるものがある。ちなみに今回の義経は昼夜を通して藤十郎丈。

 

歌舞伎初心者のころ(いまだに初心者だが)は、弁慶と冨樫の台詞回し、演技に集中していた。ほとんどの時間じっとしている義経に注目することはなかった。ところが、安宅の関を超えるだけの表面的なドラマならまだしも、平家討伐の最功労者である義経、兄頼朝に疎んじられていても、家来の中にはまだ義経を神聖視する者さえいる。安宅関の責任者である富樫でさえ義経には尊敬の念さえ持っているはず。

 

歌舞伎芝居とはいえ、勧進帳において義経は無視できない存在でもある。その義経を、限られた台詞の中で、またほとんど動かぬ所作の中で存在感を表現するのは、神業に近いものなのだと、後年気づくに至り、今では冨樫と弁慶の所作、台詞を耳にしながら義経を見ている自分がいる。

 

山伏に従う強力に仕立て関を通過する義経。通過しようとしたその時、関の番人に見破られそうになる。弁慶はこの場を逃れようと、主従の関係にない、ましてや義経ではないことを示すために、強力に返送した義経を打擲する。その打擲の激しさにたまらず冨樫は、そこまでしなくとも、と弁慶に打擲をやめさせる。

そこまでして義経を逃がそうとする弁慶の思いに、主従関係に冨樫は胸を打たれ、一行を通す。

安宅関を通過した後、主君に詫びる弁慶。打擲を咎めず、機転を褒める義経。

ようやく義経が存在を示す。

 

我々には守らなければならないものがある

 

勧進帳の原理原則だ。

 

原則であるこの軸をぶらさず表現する素晴らしさを改めて知る。

そこに歌舞伎としての、また伝統芸能の奥深さがある。

 
 
 
 
 

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