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ベトナムでの仕事(2)




1月下旬から2月初旬、ベトナムは旧暦の正月、テトである。グレゴリオ暦を使う日本とは違い、中国大陸をはじめ中華圏や朝鮮半島、ASEANの一部諸国では旧暦が使われ、この旧正月が最大といっていいほどのお祭りとなる。日系企業でも1週間、長いところでは2週間ほどテト休暇に入る。
 サイゴン(ホーチミンシティ)のタンソンニャット空港国際線の荷物の流れるベルトはご覧の通り。足の踏み場を探すのが精一杯。ちょっとしたカオス状態。ゲートを出ると人、人、人の洪水。これから発展して行く国の眺めがそこにある。

ベトナムの旧正月テト。ベトナム戦争を知る人たちにとっては、テト攻勢で知られている。
ベトナム戦争、戦時下だった1968年1月30日、この時期は双方にとって暗黙的休戦時期にあたっていたが、北ベトナムが南ベトナム解放戦線とともに南ベトナム内各地で一斉に蜂起したのである。
虚を衝かれたアメリカ。ケネディ暗殺後、強気で押し通した楽観的ペンタゴン、ジョンソン政府にとって、アメリカ大使館が一時的であれ占拠されたことが最大のショックであった。中部にあるケサンの基地も包囲され一時は壊滅も伝えられたほど、アメリカ、全世界に脅威を与えた強烈な蜂起であった。
その後、ジョンソンは大統領選に出馬せずと演説し現実から逃避。かつアメリカ大使館占拠、その他の都市での敗北、また明るみでなかったベトナム都市への空爆などがメディアによって映し出されたことで全米は反戦への機運が高まっていく。
4月4日にはマーティン•ルーサー•キング牧師がメンフィスで暗殺され、6月6日には大統領選で遊説中のロバート•ケネディがロスで暗殺される。8月29日には民主党大会の行われたシカゴでは警官隊とデモ隊との衝突で流血事件が起こり、反戦活動が一気に高まりアメリカはいよいよ国内が二分されていく
この1968年1月のテト攻勢がアメリカに与えた影響は計り知れない。

しかし、その後当選した共和党のニクソンは戦争を止める公約はどこ吹く風。北爆停止はさらにエスカレート、カンボジアやラオスなど隣国にまで爆撃を開始。1972年のウォーターゲート事件で辞任し、1975年4月30日のサイゴン陥落、ベトナム統一へと繋がっていく。

テト攻撃の報道では衝撃的な映像が多い。
一時的に北が占拠した町では南の政府関係者が路上で処刑され、南が北から奪還した町では北の人間たちが処刑された。南ベトナム警察庁長官のロアンが報復のため路上で解放戦線側将校レムを射殺した映像は世界中に配信され、ベトナム戦争の残酷さと不可思議な印象を与えている。初めてテレビで中継された戦争は生々しさを伝え、多くのジャーナリストが真実を伝えようとした。

多くの民間人を巻き込み多くの人々をしに追いやったテト攻撃は北ベトナム側の敗北で終わる。しかし、勝利者はいない。アメリカにベトナム戦争終結への方向を導いたのは確かだ。北ベトナムのボー•グエン•ザップ将軍は戦術では敗退したが、北南の統一を早めるきっかけを与えたのは戦略的に意義がったと語っている。

あれから45年。
ベトナムは長く最貧国の位置にあり、庶民はイデオロギーの中で貧しさに耐えていた。80年台後半よりのドイモイ政策から少しずつ経済は上向きになり今や60年代の日本のようなカオスの中でも発展を目指している。発展途上国にありがちな公害や汚職もある。庶民が笑顔の絶えない日常生活を送るには、先進国の、特に公害や汚職など同じ道を辿った経験や技術を伝えて行くべきであろう。あの残酷なベトナム戦争にも日本は間接的にも加担し、太平洋戦争では大きな迷惑もかけている。
ベトナムやベトナム人と友好関係を築き、経済や人間間を通じて日本とベトナムがさらに発展することを願っている。そのために何が出来るかではなく目の前にあることを一つ一つ実行に移している、今日この頃である。

 

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