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幕末と長州人





司馬遼太郎の「街道をゆく〜長州路」には、あの独特な言い回しで長州人のことを評している。
『幕末の騒乱は長州人が演じた猪突猛進の行動とその灰神楽がたつような騒ぎを中心に旋回し、倒幕維新の時期を早めた。
もし長州人というこの複雑な性格をもった行動集団が日本に存在しなかったなら、明治国家の成立はずっと遅かったか、あるいは違った形態になっていたにちがいない。
伶俐さという他の集団には見られない不思議な属性が長州人にあったからであろう。
長州人どんは面白い。この議論がちゃんと確立しない限り近代日本史が語れないかと思うほどに語れば尽きない感がある』と。

というわけで下関市内、関門海峡を見降ろす赤間神宮にいる。
長州といえば奇兵隊。奇兵隊とは武士だけでなく農業従事者や商人など庶民からなる混成部隊で、この時期にこのような集団が組織されたのは、この地の気風なのだろう。
その奇兵隊の運営には金がかかる。そこに登場したのが白石正一郎。海運業などで私財を蓄えた彼は奇兵隊に入隊し、会計方を担当する。しかし、金が無いからといって他から借りれるわけではなく自ら私財を投じ、ついには家産を蕩尽し、破産する。新しい時代を築く人材を経済面で援助した真摯なスポンサーである。すべては幕末のためであり、ある意味で維新の最大の功労者ともいえよう。

源平壇ノ浦の合戦で海へと消えた安徳天皇が祀られているここ赤間神宮。家産は蕩尽しても、長州人の多い明治政府に白石は見返りを求めず、白石はここの宮司となった。自由、男気、清廉な人間であったに違いない。西郷隆盛の白石評は「温和で清廉、実直な人物である」赤間神宮で彼の碑らしきものを探したが、なかった。こういう人間になりたいものだ。
今度は、長州人気質の考えの根底を作ったに違いない吉田松陰に縁の深い萩に行きたいが、今回は仕事で長門市まで。次回だな。





 

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