<< インビクタス -INVICTUS- | main | 自転車のまち オランダ・アムステルダムをゆく >>

うつし世の静寂に

 


政令指定都市、川崎。

そこで古くから畑を耕す家族、人々の姿を追ったドキュメンタリー映画野の第二段。

「うつし世の静寂(しじま)に」。

なんとまあ、詩的の響きだろう。

 

制作者の小倉美恵子さんとは、あるお寺さんでの講演会で知り合った。

川崎の百姓です、と自己紹介した彼女の表情に屈折した思いはない。

 

田や畑が住宅地に変貌して様を長いこと見つめてきた目の先には、

古いコミュニティのその輪が小さくなり、かといって新しいコミュニティができるわけではない、

本来の豊さの喪失が、彼女を活動へと駆り立てるのではないかと想像した。

 

人工透析をしながら、撮影、執筆に勤しむ頑張り屋の彼女の作品を2年ぶりに見て、

人の集う尊さの本質を見たような気がした。

 

 

地域の人々が集まり、円座して、大きな数珠を回しながら念仏を唱える念仏講。

 

お地蔵さんを順番に家々に置いて、祈りを捧げるために、

その地蔵を背負い次の家へと届ける。

 

谷戸という谷あいの田で黙々と畦を作り、作物を育てる人たち。

その姿は美しく、しかし顔の皴は過酷な労働とその人たちの人生を伝える。

 

古き良き民族芸能で、地場と民衆を繋いだ宗教への足がかりともなったお神楽。

小さな山の中のお社が分社され、山中の祠の跡地でそのお神楽を復活させる。

子供たちから、その舞を舞った人たちが協力して復活させる様は、素直に羨ましい思いを抱く。

 

念仏講、巡り地蔵、初山のお神楽、谷戸、すべてが古臭い慣習ではなく、新鮮に思えた。

監督の油井さんの、人間への愛情が映像となって映し出されている。

 

慣習は、その土地、その人間たちに必要であるから生まれた。

便利さは素晴らしいが、人間を楽なほうへとおしやる。

苦しい思いをして土とまみえるのを拒否した人間の増加。

自分だけで物事が完結できると驕り高ぶった人間の多い世の中の希薄な人間関係。

 

人間は、というより日本人は、血の通う人間の豊かさを徐々に失っているように思える。

では、どうするべきなのか。

この映画に、そのヒントが少し見えた気がする。

 

 

農業の神様を祭る御岳神社へ詣でる御岳講を描いた前作「オオカミの護符」から2年。

この映画から、考えること、また感じること、気づくことがたくさんあった。

 

映像は、商業映画の秒単位で画像を変化させるスピード感はないが、

適度に癒される絶妙な速度感がとても居心地をよくする。

 

 

また、本編を終えてからの、インタビュー映像は実にいい。

われわれの業界でいう、いわゆる「気づき」がもたされて、

疑問点や自分の鏡に見えていなかったものが、改めて見えたりする。

 

 

自主上映が主体だった前回の映画は、今回は街中の映画館に飛び出す。

こういう映画こそほかの土地の多くの人たちにみてもらうべきものなのだが。

 

人にとって豊かさとは何なのかな。

 

    
    映画の詳細






コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM